なんてことのない本屋で、突然ノスタルジーに襲われた

dark bookエッセイ
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この4連休、久しぶりに本屋にいった。

いや、本屋に行くと決めていた。
昔足繁く通っていたのとは打って変わって、最近はすっかりと本屋から足が遠のいてしまった。

本屋が嫌いになったのではない。
ただ、本屋で実際に本を買うことは少なくなった。

最近はネットや古本屋も在庫が抱負になっているし、新品で買うよりも圧倒的に安い。
もしもどうしても新しい本が欲しい場合には、通っている大学の生協に取り寄せて、生協会員の割引を受けるのが一番安いので、本当に街中の本屋で本を実際に買うことはとても少なくなったように思う。

要するに、自分が読みたい本が本屋に行かずともお手頃な価格で手に入るようになったのだ。
だからこそ、より忙しくなった今、自分の中で「本屋に行こう!」としっかりと決意を固くせねばなんらかの言い訳をして行かなくなってしまっていた。

とはいえ、私もあまのじゃくなもので、本屋に一歩はいるとその雰囲気が一気に心地よくなり、気付けば長居してしまう。あの懐かしい新書の匂い、そして店内の穏やかな雰囲気がなにより心地よい。

今回私が訪れたのは、私の住む場所からは最も近くにある本屋である。
格別に狭いというわけでもないが、広いというわけでもなく、ちょうといい広さである。
これくらいの規模感の本屋は一番私をだめにする。狭すぎると窮屈だし、広すぎるとかえって疲れ果ててしまって早めに店を出てしまう。これくらいの中くらいの大きさの本屋が、一番長いさせてしまう本屋なのである。

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本屋の楽しみ方は、人それぞれだと思う。

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文庫本を漁るのもよし、漫画や雑誌に没頭するのもよし。
誰しもが自分の好きな過ごし方をできるのは本屋の特徴の1つだろう。

私の場合は、その本屋の売れ筋ランキングを見るのが好きである。
どんな本が売れているのかを見ていると、だいたいその本屋に通う人たちがどのような興味関心を抱いているのか検討がつくからである。
今回の本屋は私の徒歩圏内。つまり、ここを利用しているお客さんの多くは私の遠かれ近かれのご近所さんである。実習やお勉強で日々忙しい身としてはこのようにして自分のご近所さんがどんなことを考えているのかを定期的に知っておくことは大事なことだし、なにより楽しいことでもある。

同じような理由で、かつて色々な場所を巡っていたときには、必ずと行っていいほどその地の本屋には入るようにしていた。行く場所行く場所、どの本屋も売れ筋ランキングは確かに似ている。でも、少しずつ違っている部分もあって、それがジワリジワリと面白いのである。
「あ、ここらへんの人たちはどちらかというとアートが好きなんだな」「この本屋の近くの人達は結構難しい本にも挑戦しているんだな…」
そんな発見があったりするのも本屋を訪れる醍醐味でもある。ある意味ニッチな側面での人間観察かもしれない。

そういう意味では、中規模な本屋だけではなく、駅ナカのこじんまりとした本屋も好きである。スペースが限られているということは、そこに置くことができる本の種類も限られる。ということは、その本棚に並ぶ本は、いわば全国数多ある本の中から競争を勝ち抜いた選ばれし本であり、どちらかといえばより購入者の趣向を示しているとも言えるからだ。

ちなみにだが、この4連休では、感染症に関する本がヒットしていたようだった。ある程度予想はしていたが、それでもここまでたくさんの本が出ているとは驚きだった。
その一方、いつもこの夏休み直前の時期となれば大賑わいになっている旅行関連のガイドブックのコーナーに関しては閑古鳥が鳴いていた。当たり前なのはわかるが、旅好きとしてはやはり悲しく思うものがある。

私は本が好きだったはずなのに

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そんな中、色々な新刊を巡ったり、新しい文庫本を見たりしていると、ふと背筋がすっとひんやりとした感触が私を襲った。

はじめはこれがなんなのかさっぱりわからなかった。
でも、なにがなんだかわからなかったが、1つのことははっきりしていた。
私はなぜか本屋に来て、本を色々と物色していたら、


ふと悲しくなったのだ。虚しくなったのだ。

本屋にきて悲しくなるなんて、私にとっては初めての感覚だった。
特に何か琴線に触れるような本に出会ったわけでもない。
ただ、本屋を回っていると、なんとも言えない悲しさ、苦しさのようなものが襲ってきて、今にも泣きそうになりそうだった。

突然襲いかかってくる悲しみ。それは郷愁のような、ノスタルジックな雰囲気も醸しつつも、私に重く、強くのしかかってきた。本屋の独特の優しい静かな音楽がその感情へさらに拍車をかける。
20歳も超えた男が本屋でベソをかいているのもなんともきまり悪いのでなんとか平静を装ったが、初めての体験に私自身も当惑し、混乱していた。

ちなみにだが、本屋にいって不思議な感覚に悩まされるのはどうやら私だけではないらしい。例えば、本屋に行くといきなりトイレに行きたくなる現象はよく知られていて、「青木まりこ現象」とも呼ばれている。でも、本屋に行ったら急に悲しくなるなんて話は聞いたことがない。一体私をおそったのはなんだったのだろうか…

そんなことをふと悶々と考えながらいると、いつの間にか私は児童小説のコーナーにいた。

ああそうか。

私も、現実を見るようになったんだ。

振り返ってみれば、幼い頃は本に対してなんの違和感もなく楽しみ、没頭できた。それこそが本を読む醍醐味だった。むしろ、本の中の世界と現実の世界の区別がつかず、本の中に描かれた妖怪が自分を襲ってくるのではないかと眠れないころだってあったのだ。本は私が絶対に行けない場所、見れない世界を見せてくれた。それが楽しかったのだ。

でも、今の私は、それがすべて幻想であることを理解している。
現実世界には空飛ぶドラゴンもいなければ魔法の杖もない。
未来からやってくるロボットもいなければ、地下にコロニーを作って生きている昔、地上の世界から隔離された人達がいるわけでもない。

一方で、本の世界は未だに自由だ
ビジネス書はひたすら一攫千金を当てる方法を何度も何度も教えてくれるし、絶世の美女と末永く幸せに生活するハッピーエンドな小説だって数え切れないほどあるのだ。

でも、私はもうそれを信じることができなくなってしまったのだ。
もうそんな夢みたいなことは望んだりしない。でも、あわよくば努力がある程度は報われて、いつかは結婚して、1人か2人くらい、自分の子どもが成長できる手助けができたらいいな…。

これでも高望みだっていう人だっているだろう。でも、本の中の世界に比べちゃどうしても色あせているように見えてしまう。自分で言っておいてなんだけど。

そう考えてしまうと、今の自分の世界からは、どうしても本の書いていることが浮き世離れしているようにしか見えなくなってきてしまっていたのかもしれない。だけど、本屋の中では本が正義だ。そこに並ぶ本は容赦なくその正義を私に振りかざしてくる。それを信じることができていた自分、そしてその世界を私は心の奥底ではまだ羨ましがっているのかもしれない。だからこそ、そんな世界を信じることができていた自分に儚い懐かしさを覚えるのかもしれない。

医学を学びながら「根拠、根拠、エビデンス!」などといった無機質の情報を頭に詰め込み続ける中、いつの日か「そんな空想なんて存在するわけない」といつの間にかドライになっていた自分がいた気がする。

とは言いつつも、私は決して本が嫌いになったわけではない。

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本は私が思いだにしなかった世界を見せてくれるのは間違いなく、私も手に取る本を読んでは感動を繰り返している。

私を本屋で苦しめたのも本だったが、私の人生を救ってくれたのもまた本であった。
人生のどん底にあったころ、私も「本との運命の出会い」を果たしたのである。何気なく手にとった本の中に出てくる言葉のすべてが自分の心に染み込んでいき、「自分もまだ前にすすめるかもしれない」と思わせてくれたのは本だったのだ。あれほど絶大な効果はどんな薬でも生むことはできないような気がしている。

それ以降、私はなんだかんだ言いながら、どれだけ忙しくてもちょっとずつ何らかの本を読み進めてきた。本とともに自分も前に進んでいる感触はまだ健在で、本は私の人生のバロメーターのようなものになっている。

とはいえ、出会う本のすべてが全てに共感できるわけでもない。
特に、最近の本に関しては、ある程度本を選ぶことに時間と労力をかけなければ返って残念な気持ちに苛まれる本が増えてきている気もするのだ。
特に自分のサクセスストーリーを過度に押し付けてくるような本に対しては私は強い嫌悪感を抱くようになってきた。読んでいて謎な圧迫感があるし、どうしても自分がそのような未来を歩みたいと思えなくなってしまうのだ。最近は「そういう人生もある」とドライに割り切ることができるようになってきたが、それもそれでなんだか悲しいものがある。

生きていくうちに本は私の生活の一部に溶け込んでいた。
一方で、それを生活の一部に組み込まなければ行けないという観念の中に私が生きるようになってきたとも言えるかもしれない。

自分のこんな状態から言うのもなんだが、読書は苦しんでまでするものではないと思う。ときには厳しい現実に目を向けるために活字の力を借りるのも大事かもしれない。だけれども、そのためにはそうやって「現実と向き合う姿勢」を作ることが大切であって、ただ単に字面を眺めていて実現できるものではなかろう。

今回の出来事に対して、私は色々な意味でショックだった。
私は本が好きだと思っていたし、本を好きでありたいと思っている。
そして、そのような本との出会いの場である本屋もまた好きだし、これからも好きでありたいと思っている。

ただ、本から「理想」を押し付けられて苦しんでいる人ももしかしたらいるのではないか?と思ってこのような文章を書くことにした。
今回の文章を不快に思った方もいるかもしれない。批判されているように聞こえた方もいるかも知れない。それについては私も謝りたい。

しかし、どうしても言いたかった。

あなたにとっての「理想」と「現実」はあなたが決めるものであり、本や他人が決めるものではない。

最近は同調圧力のように「成功」「幸せ」の概念が構築されつつあり、それを窮屈に感じているひとも多いのではないかと想うのだ。

読書とは、それに同調するためのものではない。
本の読み方は人それぞれ。苦しみながら色々な活字に触れる必要は決してない。もちろん、そういう刺激を求めるなら別だし、時にはそういうこともあったほうがいいとは思うけれど。

ただ、それによって過度に疲弊したり、神経をすり減らすのはやっぱり本末転倒だと思う。

多様性とかダイバーシティって言われる時代なのに、幸せだけ画一化されるなんておかしな話だしね。

ある程度の部分は惰性で書いてしまった文章でしたがお付き合いありがとうございました。とりあえず10年後くらいにこの記事を発掘したら、クスッと照れ笑いしながら読み返せるようになれていたらいいなーと思いながら筆をおきます笑

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